笹子地蔵霊験記その16
最乗寺仁王門を過ぎ次に足柄神社に到着する。
地図を見ると足柄神社の特徴が分かる。
足柄峠から足柄平野に続く県道78号線とレイラインが交差する場所に足柄神社入口の看板がある。
そこから周囲の畑などを見ながら通って奥に入ると到着する。足柄峠との因縁の深さを感じる。
神奈川県神社庁足柄神社後由緒には次のように書かれている。
日本武尊東征の際、足柄村にしばらく滞在され休養された後、明神嶽から足柄山に向かおうとしました。 しかし、途中樹木草生い茂り道に迷ってしまいました。そこへ白い鹿が現れ、その後をついていくと難なく足柄峠に到着することが出来ました。そして白い鹿はいつの間にかいなくなってしまいました。 日本武尊は「これは神霊のお導きにならむ」と思い、侍僕に命じて足柄の地に3年滞在させ、この地に神霊を奉斎したのが足柄明神の始まりとなった。当初は明神嶽に鎮座したが、その後足柄峠・矢倉嶽Ⅱ遷座し鎌倉時代後期に現在地に遷座した。 ご祭神は天照大御神・瓊瓊杵尊・日本武尊である。 |
レイラインでは「3」の数字が目立つのですが、ここでも3年という表現が出てきます。
古事記では白い鹿が現れると殺してしまうのですが、足柄神社では足柄峠まで無事道案内をすることになっています。
日本書紀では場所が岐阜県と長野県の境である信濃坂に移り、道案内をしたのは白い狼となっています。
伝承がそのままた正しいとは言えないかもしれませんが、足柄神社とレイライン・足柄峠との結びつきを考えると、白い鹿が現れた場所は古事記の通り足柄の地だったと確信しています。
足柄神社の東にアサヒビール神奈川工場がありますが、アサヒビールの本社は墨田区吾妻橋にあり、足柄神社とのご縁でここに立地したと思われます。
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