笹子地蔵霊険記その14
三宅島から真鶴三ツ石海岸・南足柄市内三ヶ所(御嶽神社・笹子地蔵・長泉院金比羅堂)・秩父三峯神社を経て佐渡島まで至るレイライン。
改めて地図を作成し新しい事実を発見しようとした。
地図を見ると神奈川県内では丹沢湖で大山・富士山と一直線でクロスする。神聖なるゴールデンクロスなのである。
そして群馬県内では妙義山・妙義神社がレイライン上に存在することが判明した。
妙義山は上毛三山の一つとして群馬県民に親しまれている山である。
更に大分県耶馬溪・小豆島寒霞渓とともに日本三大奇勝の一つでもある。
妙義神社は日本武尊を祭神としており、江戸時代は修験道の聖地として妙義大権現と呼ばれていた。
三峯神社も修験道の聖地として三峯大権現と呼ばれ、ともに徳川将軍家の厚い信仰を受けたなど共通点が多い。
妙義神社を群馬県側のレイラインの入口として考えると、その奥には何があるのだろう。
群馬県には活火山が4つある。浅間山・草津白根山・榛名山・赤城山だ。
レイラインはあくまで「3」にこだわっている。赤城山は仲間はずれとなってしまう。
浅間山・草津白根山・榛名山3つの活火山に囲まれた地域が吾妻郡と呼ばれており、日本書紀に出てくる碓日坂は吾妻郡周辺とされ、各地にヤマトタケル伝説が残っている。
三宅島から真鶴三ツ石海岸・南足柄市内三ヶ所(御嶽神社・笹子地蔵・長泉院金比羅堂)を経て三峯神社と一直線で繋がっていたレイラインは、日本三大奇勝の一つ妙義山に達し、その奥には群馬県の3つの活火山(浅間山・草津白根山・榛名山)に囲まれた吾嬬郡という広範囲な場所に、大地のパワーとヤマトタケル伝説に基づく信仰が及んでいたのである。
それにしても「3」という数字が目立つのである。
そこでもう一度古事記・日本書紀を読み直してみる。
(古事記)
足柄の険しい坂を上り、その頂に立って、海に沈んだ弟橘姫のことを思い起こし、三度深い嘆息を洩した。
「あずまはや」ああ、我が妻は!と嘆いた。
それゆえ、この国をアズマと言うのである。
(日本書紀)
甲斐から北方に転じ、武蔵と上野を通って、西の方碓日坂に至った。
日本武尊は常日頃、海に沈んだ弟橘姫を思い起こす気持ちが止むことは無かった。
碓日の山に登って、はるばると東南の方角を望み、三度深い嘆息を洩して、
「吾嬬はや」ああ、我が妻は!と嘆いた。
このゆえに、山の東の国々を名づけて、吾嬬の国という。
つまり、日本武尊が亡き妻を思い三度深い嘆息を洩したことが、レイライン上の日本武尊・音橘姫と深い繋がりのある場所を、その証拠として「3」という数字で関連づけていたのだ。ただ驚くばかりである。
次回は笹子地蔵周辺のレイラインを検証したい。
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