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2021年3月25日 (木)

笹子地蔵霊険記その10

明治政府による神仏分離令や修験禁止令により神仏習合は禁止され、金比羅大権現は長泉院の金比羅堂で、蔵王権現は御嶽神社の本堂で密かに祀られるようになった。

長泉院の本尊は釈迦牟尼仏、御嶽神社の祭神は日本武尊などの神々を祀っているので、政府の命令に違反せずに修験道の神を祀る為にした当時の人の知恵だったのであろう。

笹子地蔵においては修験道の行者はいなくなったが、地蔵石に近隣や遠方から多くの参拝者が来訪することがその後も続いた。

しかし関東大震災(1923年)から終戦(1945年)まで困難な時代が続くと参拝者は皆無となり笹子地蔵周辺は荒廃していった。

 

戦後日本経済が復興し高度成長期を迎えると、大手ゼネコンであるフジタ工業によって笹子地蔵周辺に大規模開発プロジェクトが計画された。

当時は東名高速道路の大井松田インターチェンジ近くに第一生命の高層ビルが建設されるなど、足柄平野の経済的発展が見込まれるようになった。そしてフジタ工業の子会社藤和不動産が販売する藤和グリーンヒル住宅地が完成した。

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上の地図は1984年の笹子地蔵周辺の地図である。

長泉院や金比羅堂が位置が分かるように表記されており、矢印の場所が笹子地蔵である。

笹子地蔵霊険記で今まで述べてきたが、この地域は古代より土着の神々を国津神として信仰し、仏教伝来後は神仏習合により金比羅大権現として祀ってきたのであった。金比羅大権現の分身黄色大権現が天狗の姿で現われたり、僧の姿で夢に現われ人々に笹子地蔵へ参拝するように促すなど、霊験あらたかな神様なのである。

しかし、地図をみれば一目瞭然、藤和不動産が住宅地を設計した時に神様への配慮は皆無だったのである。

せめて長泉院本面に歩いてお参りに行けるように遊歩道を作るとか、かってテニスコートのあった場所を展望公園とし長泉院を見晴らせる場所に祠を設置してお参り出来るようにすべきだったのでは・・・・・。

確かに地蔵堂は「南足柄市石造物調査報告書」にて高さ4.5m幅2.4mの2段の自然石を地蔵石として認定していることにより、藤和不動産が自信を持って建立したはずである。

しかし、江戸時代中期から大正時代まで地蔵石として信仰された霊石や多くの石碑が建つ場所は放置された。

藤和不動産は不動産バブルの時期に完売することができたが、その後の不動産不況によって経営が悪化し三菱地所に吸収された。これもこの地域を鎮守する神々の神徳を受けることが出来なかったことによるものであろう。

 

この住宅地の居住者から笹子地蔵に尽くそうという方々が増えてきて、笹子地蔵周辺は次第に整備されきました。

このようなことから神徳を授かるようになり、令和元年東日本台風では南足柄市の多くの地域が断水となったが、藤和グリーンヒル住宅地だけが断水を免れた。

これからも多くの方々が笹子地蔵に参拝しての神徳を受けられることを願わざるを得ません。

もしも笹子地蔵に参拝する時は笹子地蔵由来碑にお参りすることも忘れないでください。

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          笹子地蔵由来碑

 

続く

 

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