笹子地蔵霊験記その2
南足柄市は金太郎のイメージが強いが、最乗寺・足柄神社など人々の生活に神仏が溶け込んでいる地域なのです。
まず古事記から南足柄の歴史について語らねばならない。
「日本武尊は東国を平定し大和国へ帰るために足柄峠に着きました。
そこで休憩し食事をしていると白い鹿が近づいて来ました。
足柄地域の神が白い鹿に化けたのを見抜いた日本武尊は、食いかけの蒜を投げつけると鹿の目に当たり鹿に化けた神は死んでしまいました。
足柄峠の頂点に登った日本武尊は三度ため息をついて「ああ、妻よ」と言いました。
以後東国のことをアヅマと呼ぶようになりました。」
◎日本武尊は天津神(天照大神・邇邇芸命など高天原系の神様)を東国に持ち込んだが、国津神(平定された人々が信仰してきた神様)を弾圧したり否定したわけだはないのである。良好な関係を保った国津神が変身した白い鹿を日本武尊が殺害するのは不自然なのである。蒜はラッキョウやニンニク系統だと思われるが、これを投げたぐらいで動物は死なない。
◎足柄峠の頂点からは富士山が良く見え、三浦半島方面は明神が岳方面の方がよく見える。
そこで足柄神社に伝わる伝説を述べることにする。
「日本武尊は東国を平定し大和へ帰る途中、慰労のため足柄村にしばらく滞在していました。
足柄村を出発し足柄峠に向かったのですが、明神ヶ岳山裾付近※で樹木生い茂り進路に迷ってしまいました。
すると白い鹿が現われたので、その後を追うと難なく足柄峠まで進むことが出来たのです。
白い鹿は到着後消えてしまったので、日本武尊は『これは神霊のお導き』と感じたので侍僕を足柄峠に残しました。
侍僕は白い鹿が現われ消えた経路を調査するために3年滞在し神霊を祭祀したのであった。」
足柄神社の伝説では白い鹿と国津神の関係は不明だが、白い鹿は日本武尊を道案内するために神が遣わしたと明言している。
神霊を祭祀した場所が仏教伝来後、足柄明神として崇められ紆余曲折を経て今日の足柄神社となったのである。
日本武尊が大和国へ帰ることなく亡くなったので、白い鹿が道案内をした美談は伝わらず、国津神が白い鹿に化けたので日本武尊に殺されたと誤って伝わったらしい。国津神にとって不本意な結果だが、仏教伝来後に金比羅大権現・御嶽大権現として人々に崇められていくのであった。
足柄神社の伝説に記されていない日本武尊一行が道に迷った場所を明神が岳山裾あたりとしたのは、今日長泉院や御嶽神社のある場所なら国津神が白い鹿に変身するのにふさわしく、相模湾から三浦半島を見渡せる場所がいくつもあるからである。
もしも自分らが見ている場所で日本武尊が東京湾で身を投げた亡き后弟橘比売を思って、三度ため息をついて「ああ、妻よ」と言ったと想像すると、日本武尊がすごく身近な存在になるのではないでしょうか。
続く。
※足柄神社に伝わる伝説では日本武尊一行が道に迷った場所は特定されていないが、国津神が一行を助けれる場所は最乗寺・長泉院・御岳神社がある明神ヶ岳山裾が最もふさわしいと考えた。
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